香川県の地域ブログでつくるみんなのまち あしたさぬき.JP › 東北に「桃太郎」を届けよう! › 日記 › 7月8日 福島県いわき市 海岸リポート
■東日本に影絵活弁映画「桃太郎外伝! もうひとりの桃太郎」を送り出すプロジェクト。

プロジェクトが立ち上がるまでのこと、趣旨などを書いた「はじめに」をお読みいただいてから、おはいりくださると嬉しいです。

■2012年3月11日開催された>桃太郎pjキックオフ公演「いのちのこと みすゞのこと」の模様をみることができます。

サポート制度の説明   サポーターの皆さん   支援金お振込先



***********

2012年7月6日~7月8日 福島県いわき市に桃太郎を届けにいってきました。公演後のいわき市の美しい海岸をみせていただき、ここで生きるということの現実を考える3日間でした

■7月7日 いわき市内郷雇用促進住宅LIVE



 

■7月8日 いわき市海岸リポート



 

2012年07月08日

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート




7月8日 福島県いわき市 海岸リポート



2012年7月8日(日) 東日本大震災、そして福島原発の事故から1年4ヶ月。

福島県いわき市平のカトリックいわき教会から、高橋さん、中田さんと一緒に

いわきの海岸のまちを巡ることになった。


7月8日 福島県いわき市 海岸リポート





天気予報では曇りといっていたけれど、予報はみごとはずれ水平線のむこうまでみえる晴天

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート

高橋さんが

お天気よくなってよかったです。これが観光だったらねぇ

と、言われたのが心に残る。



中心市街地をでて、海辺にはいったころ、中田さんが

上がってきましたよ。放射能

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート

と、ガイガーカウンター(放射線測定器)を見せてくれ、ここが福島原発の近くのまちなのだと

改めて思う






1年4ヶ月たったまちは、波打った道路は修繕し、郊外の店などは再び営業をはじめ

なにも知らずに走れば、ここでなにがあったかなど気づかないかもしれないけれど、

海岸ぎりぎりに建っている健康保養センターに人はいない。








まず、立ち寄ったのは、久ノ浜海岸

この日の海は太平洋の力強さはあっても、波は美しく穏やか。

海のほうだけをみていると、のびのびとする。


7月8日 福島県いわき市 海岸リポート


あのむこうに、火力発電所があるんですよ

地図をみると、広大な火力発電所の向こうに 1980年代に運転開始の福島第2原発

その向こうに1970年代運転開始の福島第1原発がある






7月8日 福島県いわき市 海岸リポート

久ノ浜から火力発電所までが、直線で10km。

そこから、第2原発までが8km、第1原発までが12km。

「久ノ浜-(10km)-火力発電所-(8km)-第2原発-(12km)-第1原発
 


美しい海岸線には、発電所がずらりとならんだ




「私は松山の大学に行っていたんで、愛媛県の伊方原発っていうと女子大生にとって良い就職先でした」

と、話すと

ここらへんもそうですよ。こんなことになるなんて、普通のひとは誰も思っていなかった。

ならないと教えられていました






中田さんのお母さんは、海辺のまちの生まれで

今回の津波のことは、「海にかえったんだ」というそうだ





海は、常に生活のなかにあって、普段から海になにかあれば

海に向かって拝んで、「また、かえってこいよ」と声をかけていた。

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート

「津波は、ほんとに大変なことだったけれど、年寄りは天災にはかなわない。仕方ないと思ってます」



100年前にも人を飲み込む天災はあって、そのころ親やまちの人から自然の怖さを教えられていた

80代、90代のひとは、

「とにかく、なんにもせずに逃げろ! 逃げろ!」


と声をかけた。


50代以下のひとたちは、どうしても家にもどってしまい被災した方も多い。

その心情は、家を守る世代としていたしかたないことかもしれない。


でも、うちらは、おばあさんたちから高いところへ逃げろと教え込まれていたから

高いところに向かったが、

どこかのまちでは、海の高台にむかっている。それはあまりに危険。

年寄りが伝承してきたことは、大事なことなんだ






久ノ浜海岸は、地震と津波のあと火災がおきて被害が広がった

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート

根こそぎはぎ取られ、とりあえずの瓦礫処理もおわったそこは、夏草が生えこれからの造成地のようにも見えるが

どの家も、お風呂場の部分だけは残っていて、間違いなく、ここに生活があったことを知らせる



2011年4月の久ノ浜付近 私たちが立ったあたり youtube  

http://www.youtube.com/watch?v=Uo2gNRjae2Q&feature=related







そこから、海岸通りをくだり、よつくらの港に着いた

ここは、まだ、当時の船や車が、そのままの状態で積み上げられている。

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート7月8日 福島県いわき市 海岸リポート


この姿を見ながら、

中田さんのおばあちゃんが言う「天災にはかなわない・・・」を実感した






私たちは、何度も何度も、津波がまちをのみ込む姿をテレビニュースで見せられた。

見せられすぎて、それがもう現実というよりも、映画かなにかのような錯覚に陥っていった。

その場に居た人たちが、どれほどの恐怖のなか走って走って逃げたか・・・



前日、内郷のみなし住宅(既存の建物を利用した仮設住宅)となった

雇用促進住宅で出会った人たちのことを
思い出した。

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート

決して大声でなにかを言うわけではない。

悲しみは胸や腹におさめ、そのときを楽しもうと一緒に歌ってくださった方たちが、

どんな恐怖を体験したか・・・






ここは、良い保養施設でした

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート

海が手にとれるようなところにある、太平洋健康センターいわき蟹洗温泉

真新しい建物は残っているけれど、その中に人はいない。

webも閉鎖されていて、復旧のめどはまだたっていないのかもしれない。


2011年4月の蟹洗付近   http://www.youtube.com/watch?v=KafevVo3Z7Q






国道から海側にはいり、海際の道を走った

この道は、新しく作られた道で、中田さんが子どものころにはなかったという。

震災直後、おふくろが見に行くというんできたけど、とても走れる状態じゃなかった

と言われる道も、今は修復され、スムーズに走っていると、

防風林の向こうに、巨大な袋が何キロにも渡っておかれているのが見えてきた

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート



あれは・・・

瓦礫ですね


何ヶ月にもわたっておかれているらしく、中からいろんなものがはみ出している。


そこから数キロ先にある、豊間中学も建物はのこったものの、そこで授業ができる状態ではなく

校庭が瓦礫の山となっていた。


「子どもたちは、小学校で一緒に勉強しているようです」。




実は、この道と、この内側に作られた川が、津波の緩衝材となって助かったまちがある

ここに道路なんて、こんなところに川なんてと思っていたけれど、

先人は、ここに道や川を作る意味を知っていたのかもしれない










帰りの時間が迫ってきた。

高橋さんが、「ひとつくらい観光して帰ってください」と案内してくださったのは、

塩屋埼灯台を背に太平洋を見つめる「永遠のひばり像」

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート


海岸ぎりぎりのところにあるのに、この碑は無傷で、太陽光発電を電源としていたため

美空ひばりさんは、ここで歌い続けてくれた。



不死鳥って、やっぱりあるんだよ!!




2011年3月27日のasahi.comによると

「 震災で大きな被害を受けた福島県いわき市にある故美空ひばりさん(享年52)の歌碑群や銅像が、ほぼ無傷の状態で残っていたことが26日、分かった。

 歌碑から数百メートル離れた薄磯海岸地区は大津波で壊滅状態。 同地区から歌碑に至るまで海岸線を走る道路が約420メートル続くが、その「ひばりロード」には大きな亀裂が走っていた。津波で流されたいすや布団などが散乱。車両は通行止めになっており、地元の関係者にも被害状況は不明だった。

 歌碑や銅像は同地区より約1.5~2メートル高台にあるが、わずかな海抜差が命運を分けた。塩屋埼灯台を背に太平洋を見つめる「永遠のひばり像」は、少し傾いて見えたがしっかり立っていた。太陽光発電を電源として作動。像の前に立つとセンサーが働き、「悲しき口笛」「塩屋崎」の歌声が響き渡った。壊滅状態の薄磯海岸一帯の住宅地では、水道、電気などのライフラインは断絶。永遠に残るようにと建立されたひばり像はまさに不死鳥のように立ち続け、歌い続けている。」


塩尾崎灯台と美空ひばり碑  http://www.youtube.com/watch?v=bOaJPAXQUE8





いわき駅までの道すがら、

いわきは、ほんとに住みよいところでね」と、高橋さん、中田さんが言った。



ほら、どこをみても山があるでしょ。

盆地のようになっているから、会津で雪が降っても、冷たい風がふいても

いわきには来ない。

四国や九州で大きな被害をもたらす台風も、このあたりにくるときには弱ってて

台風の被害もない。

だから、災害慣れしてないところもあったんですよ




ああ、それは、内海に暮らす私たちも同じです。

大変だ、気をつけようといいながらも、どこかで「大丈夫」という甘さがある






いわきは、原発に近いから放射能のことをみんな心配してくれる。

でもね、放射能はここだけの問題じゃないです。

福島県の中心は福島市というところです。

そこに向かって太い幹線道路は走っている。

それが放射能のみちにもなるんです。

距離ではなく、人が作ったものによって流れは変わってくることをわかってないと





人工的につくった道や川が津波から人を救い、人工的に広がった道路が放射能を拡散する・・・。




断層によっても違う、ちょっとしたまちのつくりによっても、目ではわからない高度差でも

都市計画で、まちの被害は一変するんですよね






いわき市は、1966年5市4町5村が合併して、日本一広い「市」となった。

広い市ゆえに、ひとくくりに考えることは難しく、

それぞれの地域で、暮らしも考え方も違い、それぞれが懸命に明日をさがしている。



けど、なにがどうあっても原発はだめです!」



中田さんの言葉を胸にしっかりと受け止め、

私たちは「エスカレーターやエレベーターががはりめぐらされた近代的ないわき駅」から

特急「スーパーひたち」に飛び乗った。

7月8日 福島県いわき市 海岸リポート7月8日 福島県いわき市 海岸リポート

今、常磐線は火力発電所のある広野より北は不通となっている。




その向こうには、富岡町や、双葉町や、浪江町がある。
















同じカテゴリー(日記)の記事画像
7月8日 いわき市平 桃太郎&るいままLIVE
7月7日 いわき市内郷 桃太郎&るいままLIVE
大鹿先生から届いたお手玉!
活弁の中越恵美さん、音楽の上野慶子ちゃん到着 リハーサル開始
いわき市内郷 会場下見
支援サポーターのみなさんのお見送り!
同じカテゴリー(日記)の記事
 7月8日 いわき市平 桃太郎&るいままLIVE (2012-07-08 13:00)
 7月7日 いわき市内郷 桃太郎&るいままLIVE (2012-07-07 23:00)
 大鹿先生から届いたお手玉! (2012-07-07 14:00)
 活弁の中越恵美さん、音楽の上野慶子ちゃん到着 リハーサル開始 (2012-07-07 12:00)
 いわき市内郷 会場下見 (2012-07-06 17:00)
 支援サポーターのみなさんのお見送り! (2012-07-06 14:01)

Posted by るいまま組 at 23:00│Comments(0)日記
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
7月8日 福島県いわき市 海岸リポート
    コメント(0)